日本流通史(2)

書籍

著 石井寛治

スマレジ

江戸時代の流通とは

前回からの続き江戸時代私なりに先に解説を加えるなら、城下町の発達と幕藩体制を念頭に置かなくては、理解しにくいと思います。江戸時代に入ると戦がなくなり城は、行政施設としての城に変わりました。領民は城下町に定住を求められることになり家臣団だけでなく商人や職人も城下町に集められて生活を送ることになりました。それにより日本に都市が生まれることになりました。
そして、同業種が集まって住むことにより問屋や仲買い株仲間も発達し商人文化も生まれました。
関所の関銭などがなくなり物流が増え合わせて金融技術も発達したようです

  • 問屋と仲買
  • 政商的豪商
  • 両替商の活躍

問屋と仲買
問屋に関しては、初期は一般的に売買の仲介のみを行う荷受問屋が発展し、自己勘定仕入れをする仕入れ問屋に発展し仲買に対して優劣な地位を占めたと言われるようですが、江戸と上方の違いや年代によって必ずしもその通説が正しいかはわからないようです。

政商的豪商の誕生
幕府や大名による城下町建設による政商の活躍、今の言い方をすると公共事業による建設バブルと同じかもしれません。また幕藩体制なので藩により商品の価格差があるので巨利を得やすい構造だったようです。城下町の建設が落ち着くと建設政商も衰退したようです。

両替商の活躍
江戸・大阪・京都物流が増えると商品代金の大きな額の決済が必要になり、為替による決済が便利なため両替商が生まれました。(商品を買うために現金を輸送することなく、為替手形を発行し両替商にて手形取引が可能になりました)為替は以前からあったようですが、両替商という業態が定着したということだと思います。

上記の3点が大きな変革のようですが、他にも株仲間や少額貨幣の発達について解説があります。
まず、社会制度が変わり人流や物流が変化し、金融サービスが生まれるといった流れでしょうか。
そして、ようやく行商から常設店の時代に変わりました。
ここから先は、他の本も参照しながらになります。

江戸時代の小売業


常設の店舗による小売業の発展 呉服店が大型化し『大店』(おおだな)と呼ばれる100人を超える小売店が生まれました。18世紀の段階では世界に類を見ない規模で19世紀前半になってようやく、イギリスにて「モンスターショップ」と呼ばれる大型小売店が成立していきます。
その代表として 三井高利が江戸に暖簾を掲げた「越後屋」後の三越になります。特徴としては、
「店前現銀無掛値」

  • 入店自由
  • 定価販売
  • 現金販売
  • 薄利多売

当時 見本を持って得意先を周って注文を取る「見世物商い」か、現物を直接持ち込んで商売する「屋敷売り」が一般的でした。支払いも盆、暮れの2回払いの「掛売り」方式でしたが、越後屋は新しく「店前現銀無掛値」という革新的な売り方を打ち出し、大型店舗にて出入り、現金、定価販売を採用することによって顧客層の拡大につながりました。

百貨店の源流 江戸時代の呉服店

下記『大店』呉服系の百貨店のルーツになります。
1611 年 松坂屋の前身 伊藤呉服店
1662 年 東急日本橋  白木屋呉服店
1673年 三越     越後屋
1717年 大丸     大文字屋
1831年 高島屋    高島屋


日本流通史(1)
日本流通史 小売の近現代(1)


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